雄略列と応神列は、実年代との対応関係において、120年ズレていることがわかりました。
このことは、神功紀の編年問題と関係しています。
神功紀には、3世紀の魏志倭人伝と4世紀の百済王の即位と薨去という2つの時代の出来事が、記されていることは、先に述べました。
実は、3世紀の魏志倭人伝の記述は、雄略列上において実年代を求めることができるようになっており、一方、4世紀の百済関連の記述は、応神列上に、実年代を求めることができるようになっているのです。
すなわち、3世紀と4世紀の記事が掲載されているという神功紀の不思議については、雄略列と応神列によって、説明することができるのです。
続きは明日ね♡
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