応神列の応神紀は、応神元年の西暦390年から応神41年の西暦430年までの41年間を扱います。
でもでも、古事記崩年干支に拠ると、応神天皇の崩年は、西暦394年となってしまいます。
日本書紀と古事記の違いは、どのように考えれば、じょうずに説明することができるのでしょうか。
実は、年代列には、確定紀年と延長紀年という2つの区別があるのです。応神紀の紀年も、確定紀年と延長紀年によって構成されているのです。
応神元年の西暦390年から、古事記崩年干支の西暦394年に2年間の空位年を加えた396年までが、応神紀の確定紀年です。そして、397年から430年までが、延長紀年となるのです。
41=7(確定紀年)+34(延長紀年)
続きは明日ね♡