応神元年から雄略5年までの間、実際に経過した年数に超過している120分の紀年は、複数の年代列を並行させることによって、解決されていることが、わかってまいりました。
このような構造を多列・並列構造と呼称していますが、多列・並列構造は、どのようになっているのでしょうか。
結論から述べれば、並列している年代列の数は、4本です。
それぞれの年代列については、あとで、お話してまいりたいと思いますが、それでは、120年分の超過紀年は、
120÷4=30というように、30年ずつ平均して、それぞれの年代列に割り振られているのでしょうか。
そのようなことはありません。日本書紀は、なんといっても歴史書ですので、史実にあわせて、史実がじょうずに伝わるように、極めて精巧な構造となっているのです。
続きは明日ね♡
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