3世紀説に対する4世紀説は、学説としては、明治時代に、東洋史学者の那珂通世博士が、「日本上古年代考」において唱えた説です。
この論文が、「紀年論争」の発端となったのですが、4世紀説は、おもに、修史局学派と称された博士たちによって支持されるものとなりました。
修史局学派とは、1869(明治2)年に設立された資料編輯国史校正局(1875年に修史局と改称)に在籍されていた諸学者などによって形成されていた学派のことです。
1879(明治12)年に、歴史学者のG.G.ゼルフィー博士に「史学入門書(The Sience of History)」の執筆を依頼するなど、徹底した史料批判の上に立った実証主義史学を標榜しておりました(「史学入門書」は邦訳刊行されず、ロンドンにて英文刊行されるという数奇な運命を辿ることになります)。
日本書紀の神功紀に見える百済王たちの即位や薨去などの年代は、海外資料と較べると4世紀となる、という点には、実証主義に照らして、妥当性がありました。このことから、4世紀説は、修史局学派の擁護されるところとなったのです。
続きは明日ね♡
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