日本書紀の歴代天皇の末年と古事記の歴代天皇の末年が、どのように異なっているのか、事例を見てゆくことにしましょう。
例えば、応神天皇についてですが、応神天皇の古事記崩年干支は、「甲午」の年です。干支の「甲」は、実年代(西暦)に変換すると、一桁の数字が「4」となる干です。
ところが、日本書紀の応神天皇の末年は、310年です。一桁の数字は「0」ですので、末年の年代が異なっていることになります。
仁徳天皇も同じく、古事記崩年干支ですと、一桁の数字が「7」とならねばならないことになりますが、日本書紀の編年のとおりに求めますと、西暦399年となり、末年は「9」となってしまいます。
このように、神武元年を紀元前660年、持統11年を697年に位置づける日本書紀の編年の歴代天皇の末年と、古事記崩年干支の歴代天皇の末年は、異なっている場合が多いのでした。
続きは明日ね♡
こんにちわ。
先日、2chにてご挨拶いたしました花と申します。
まずはご報告を。
私は携帯からアクセスしておるのですが、ホムペのコンテンツにリンクが見当たりません。
お説を拝見したいのですが中身につながらないとどうにもなりません。
もし不具合などでしたら、お手数ですが確認お願いします。
投稿情報: 花 | 2007年6 月21日 (木) 16:05