春秋二倍暦が、多くの研究者に支持されたことには、理由がありました。
それは、「魏志倭人伝」としておなじみの『三国志』「魏書」東夷伝・倭人条の注釈書に「魏略曰、其俗不知正歳四時、但記春耕秋収、為年紀」と見えたからです。
注釈文の『魏略』は、「魏志倭人伝」が参考としたとされる書物で、三世紀に成立したとされています。その書物に、一年を春期と秋期に捉えて、2年と数えていたと解釈できるような文章があったのです。
さらに、「魏志倭人伝」には、「其人壽考或百年、或八九十年」、「其國本亦以男為王住七八十年」ともあり、弥生時代の人々は、みな80歳から100歳という長寿で、また、国王の治世も70年から80年もあった記されていました。日本古代においては1年を2年と数えていたために、『日本書紀』の歴代天皇の在位年数と長寿も二倍になっている、という春秋二倍暦説は、このような非現実的数字が、仁徳天皇以前という初めのほうの歴代天皇紀に顕著に見られることから、特に、説得力を持ったのでありました。
続きは明日ね♡
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