先の首脳会議で野田総理は想定外の想定が必要などと得意げにフィロソフィーを語っている。しかし、想定外を想定すればそれは想定である。非論理的思考をすると人物と思われては国民の恥である。正しく、あらゆる想定を行ってそれに対処していくと言うのが正しい態度であろう。あらゆる人知を結集してことに対処すべきである。人知が及ばないと言うなら人知が及ぶ人を首相にすべきであろう。
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原発は危険なので反対と言う人たちがいるが、不思議なことに、どう危険なのかその主張は聞こえてこない。只々反対と呪文のように唱えるだけである。ch丁度、駄々っ子が泣いているのと同じである。どのような危険があるのか,それが本当に起こる可能性があるのか,科学的根拠を合理的に説明すべきである。ここは宗教論議ではない。耐力テストの結果耐力的には安全という結果が出ても、新潟県知事のように、「気休め」と云う言葉でかたずけられては、論理的議論が出来ない。反対者も科学的に議論すべきである。
NHKでは街頭で電気代値上げに反対ですかなどと問いかけているが、これは一方的な設問である。電気問題で問うのは、原発再開の問題であろう。原発を再稼働して、安い電気で産業を興し、雇用を確保し、暖か冬を過ごし、暑い夏にも快適に過ごせる世の中がよいか、それとも、高い電気料金を払い、製造業は海外に転出させ、そのため雇用を失い失業者を増加させ、冬は寒く夏は暑く、炭酸ガスを放出を増加させて、しかも燃料輸入代金支出を増やし、貿易黒字を減らすか、赤字にするかと言う方が良いかを問う問題である。原発は百パーセント安全でないと云う心配だけで後者を選ぶのは愚かなことであろう。原発が通常運転の基で事故を起こしたのではない。自然災害やテロでの事故にはそれ相応の対応をすればよい。愚かな政治家を排除するのも原発の安全性を高める豊作の一つである。
より豊かな生活を求めるならば、原子力発電によるエネルギーに頼る以外の道があろうか?反原発を唱える人たちは今のエネルギ-需要をそれ以外で求める方法があるならば,それを示すべきである。エネルギー問題は宗教問題ではない。しかるに、衆議院決算業務監視委員会、所謂「国会版事業仕分け」はより高度な原子力技術の研究・開発より,がれき処理の研究に投資すべきなどと言っている。どんな人たちが委員になっているのだろうか、その素質にに疑いを拙者は持つ。
諦めずに勝利を手にした撫子ジャパンは国民栄誉賞に値するだろう。菅まで言葉だけまねして、諦めないで首相の座にしがみついているが、これは賞には値しない。軽蔑されるだけである。今諦めてはいけないのはより安全な原発の開発である。政府やマスコミは悪口三昧であるが、この逆風の中で、我国ばかりでなく、世界の人たちに良質なエネルギーを開発するのは技術者の使命である。撫子ジャパンに負けずに、より完全な原発の開発に頑張って貰いたいものである。
拙者が原発の改良・発展への期待を書くと,原発絶対反対の人が現われる。原発が絶対危険だというのが論拠のようじゃ。この議論は結局は人間の英知を信じるか信じないかの問題に帰するようである。信じる信じないでは議論に決着が着くわけがない。只、科学や技術の分野では英知ある人は数多く現われている。しかし、政治の世界では歴史上愚昧な人が多く現われているのだけは事実であろう。そうして人類に多大の不幸をもたらしている。
曾て官僚が行政指導だなどと云って、法によらずにに好き勝手な政策を国民に押しつけて きた。今管を始め各大臣が思いつきで,法によらずに政策を押しつけようとしている。今回の電発のストレステストも何のためにするかの説明もない。将に、独裁である。国の産業の将来に対する何の見解もない。見えるのは日本潰しの意図だけである。普天間問題同様に、この問題は管がいる限り解決できなくなる予感がする。
節電言うと何でもかんでも節電しなければならないと思われているようじゃが、電力の使用量が供給量に近づく午前九時から夜の八時までに節電が必要なのであって、それ以外の時間帯は特に必要のないものである。夜防犯灯をけしたり、街灯を消す必要はなく、それより治安維持の法が大切である。発電をしている下りエスカレーを止める愚のことを論じたが、非科学的にお題目で動くのは愚かなことである。エアコンもどんどん使って、熱中症を防ぐべきであろう。政府はいかに発電量を増やす政策を考えるのが、本来の役目である。亡国内閣を許すべきではなかろう。
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我国は1951年以来、計量法でSI単位の使用が義務づけられている。しかし、新聞なのでは、全く旧来の万などの旧来からの慣習で用いられている単位が用いられている。10万ベクレルは、100キロベクレルと書くべきである。0.06ミリベクレルは60ナノベクレルと書くのが正しい書き方である。すなわち、接頭辞は,キロ、メガなのを使い、小数点以上の有効数字が三桁になるように書くべきである。人を驚かすためか、兆などの単位を使って書くのは,国際的には通用しない。
節電とやらで、彼方此方の下りエスカレータが止まっている。おかげで、老人は膝が痛くなって困っている。しかし、登りと下りのエスカレータに同じ人数の人が乗っていれば重量が釣り合い殆ど電気を使わずに運転が出来るはずである。登りだけでは乗っている人の全重量を持ち上げなければならないので多くの電力が必要になる。下りエスカレータを回しているモーターは発電機になっているはずである。若しそうなっていないならば、設計者の怠慢と云うことになる。下りエスカレータは運転すべきである。