クリスマスも過ぎて、ちゃぽちゃんは、たいせつなご用事を思い出しました。
「あっ。そうだ。ちゃぽ。聖徳太子さんからのことづけを三善清之さんに伝えなくっちゃ。」
そこで、さっそく、ちゃぽちゃんは、朝堂院の三善清之さんのところへゆきました。
「あのね。ちゃぽ。聖徳太子さんはね。2×6=120と21×60=1260という式が、とても大事だっとおっしゃっていました。」
「ふむふむ。なるほど。」
と三善清之さんは、うなずいて、何やら書き始めました。
「ちゃぽ殿。讖緯暦運説とは、60年に一度づつめぐってくる辛酉年に大きな政治的変革があるという考えでおじゃってな。『日本書紀』も、この讖緯暦運説が応用されておるとの言い伝えがおじゃった。しかれども、どのような数字がどのように用いられておるのか、今では、さっぱりわからなくなっておったのじゃ。ちゃぽ殿のおかげで、120年と1260年という数字が使われていることがわかったでおじゃる。めでたきことじゃ。」
三善清之さんは、こういうと、再び机に向かって「勘文」を書き続けました。この勘文は、今日に伝わっており、「革命勘文」としてよく知られています。この清之さんの勘文によって、なんと、幕末までの辛酉年には、必ず、大きな政治的変革を避けるために、改元がおこなわれるようになったのですから、びっくりです。
でもでも、清之さん。120年と1260年という数字の使い方が、ちょっと間違っていたみたいです。神武元年の紀元前660年から120年と240年に区切っただけでしたので、日本書紀紀年法は、この後も解明不可能な課題として残されてしまうことになったのでした。
では、120年と1260年という数字は、『日本書紀』において、ただしくはどのように使われているのか、これにつきましては、ゆうちゃま(倉西裕子)の『日本書紀の真実 -紀年論を解く』やHP「倉西先生のご学問所」などを、ぜひ、ご覧になってください。