ちょっとペースが速すぎたかもしれません。
今日からは、これまでのお話のおさらいを、少ししてゆきましょう。
まず、応神元年の390年から雄略5年の461年までの間、実際に経過した年数は、72年ですが、この間の紀年数の合計は192年です。
120年分も紀年が多く配布されていることは、日本書紀の年列を一本の直列的な年列として捉えず、4本の年列によって構成されていると考えますと、このような超過紀年の問題を説明することができます。
ちょうど、長いプレートに張り付けた年表を4つに折れば、箱に収めることができることに、譬えることがでkるでしょう(少し、箱から飛び出してしまう年列もありますが)。
日本書紀紀年法のこのような構造を、「多列・並列構造」と呼びます。
続きは、明日ね♡
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