明治時代の紀年論争は、文芸週刊雑誌『文』に、東洋史学者の那珂通世博士が、明治21(1888)年に、『日本書紀』の紀年の修正案となる「日本上古年代考」と題された論文を発表したことを受けて、以下のような質問状が、掲載されたことにはじまりました。
1.日本紀の年代はすべて信用すべきものなりや?
2.信用すべしとならば其の正確を証明するを得べきか?
3.信用すべからずとならば如何になる誤謬ありや?・・・
質問状は8カ条に及ぶものとなりましたが、これらの諸点をめぐって、史学、国学、漢学など、各界の代表者90余氏が参加して、一大論争が展開することになったのです。論争には、東京帝国大学招聘教授であり、『英訳古事記』の著者でもあるB.H.チェンバレン博士、『日本書紀』をはじめて英訳された英国大使館のW.G.アストン氏も加わりました。週刊雑誌でしたので、答える側も、質問する側もたいへんな議論が、1年も続くことになったのです。
続きは明日ね♡
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