さらに、明治時代となって、学問は科学であるとする西洋の実証主義が史学に導入されますと、徹底した文献批判にもとづいた歴史書の検証研究が、試みられるようになりました。これまで史実と考えられてきた『太平記』などの様々な書物が相次いで批判の的となりました。『日本書紀』も例外ではありません。
実証主義史学を標ぼうする修史局学派の博士たちは、江戸時代より指摘されてきた矛盾点をより綿密に調べあげ、様々な編年の修正案を提案しました。
そして、『日本書紀』の編年は、そのまま信じるべきとする国学派との間に、明治21年から翌年にかけて、文芸週刊雑誌において、とうとう「紀年論争」とも呼べるような、大論争がまき起こることとなったのでした。
続きは、また明日ね♡
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