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さてさて、紀年論争は一年間も続きましたが、それでは、『日本書紀』の編年のどのような点において、矛盾や不整合があると、多くの人々が主張するようになったのでしょうか。
江戸時代に『日本書紀』が刊行されるやいなや、国学者や儒者によって、異議が唱えられ、明治時代になっても、一大論争になったのですから、もっともな理由があったはずなのです。
明日からは、日本書紀紀年法研究において、これまで指摘されてきた矛盾点についてお話してゆくことにします。
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