オスプレイが配置され、国内各地で低空飛行訓練が行われると報道がった。国内での低空飛行とは一寸奇異な感じを受けたが、これは、国内で起こるかも知れないテロ対応と考えると納得が行く。これからの戦争は対外と言うよりも、国内のテロの方が遙かに起こる可能性がある。原発を護上でも軍隊の急速な展開が求められるとすると、オスプレイの訓練は妥当と言えよう。
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補助金で成り立つ企業に援助してはいけない。例えば、ソーラ発電には1kw辺り42円が支払われる。これは大部分が国民の税金である。こんな企業を盛んにすれば、国の富は益々失われる。発電装置に補助金を出しても、安い中国製が使われるようになり、我が国の専業の発展には役立たない。ドイツがよい例である。
文章を書き始めると途中で消えてします。どう云うことなのだろうか?それも中国に批判的な文の場合である。
黒岩神奈川県知事は一国二制度を神奈川県に作るなどと言っているが、これは明らかに国家内国家を作る県独立運動であり、国家反逆罪に相当するものである。道州制など地方の独立色を強める運動が盛んであるが、これは国家防衛上の見地からも検討すべきである。もし仮想国家がわが国に侵略しようと企ているならば、当然わが国を分断する方向に謀略を仕立ててくるのは明らかである。地方自治の権限の範囲を明らかにする必要がある。
安全柵の最初の支柱はそこに衝突した場合は危険な構造物となる。今では緩衝装置や地面より徐々に柵を高くするなどの工夫がされている例は多い。しかし、今回の関越自動車道の事故を見ると防音壁が何の防護もされずに作られている。これでは自動車が衝突したならば大きな衝撃を受けてしまう。衝突を緩和する装置を設置すべきである。死者は防護壁にバスの」側面を削られて亡くなっていると見受けられる。衝突を緩和する設備を怠っている道路管理者は事故死の責任の一端を担うべきだろう。同じように電信柱も車にとっ凶器になりうるが、歩行者にとっては防護に役立つ。しかし、これがあるために歩行者は車道にはみ出して歩かなければならないので、この場合は凶器である。電力会社はどう考えているのだろうか?
天皇が政治に係れば世は乱れる。後醍醐天皇が良い例である。日本国の統合の象徴として政治から超越し、祖先の霊を祭っているのがふさわしい。卑弥呼が良い例である。自民党案のように元首とすれば、必然的に政治に関わることになる。天皇は世襲であるから、どのような人がなるか分からない。悪い例ではあるが、もし独裁的性格の人が天皇、すなわち元首となり、独裁を敷いたら確実に日本は亡びることになる。
変わればよいと云うものではないことは、今回の民主党政権の誕生で国民は嫌と言うほど経験したはずである。フランス革命しかり、ロシアの赤色革命しかり、近くはオバマのチェンジと変わって良いことは殆どないことは歴史が教える所である。個人の生活でもうまくゆかないということで一変したからと言って生活が変わることはない。それよりも一歩一歩改善して行くことが大事である。現状を良く解析しより良くする以外に道はないのであろう。絶対に変わればよいというものではない。橋下氏の台頭に危機感を感じる。
民主党政権になって以来混乱させることしかしていない。先ず八ッ場ダムに始まり、普天間基地問題も解決できず、只混乱しかもたらしていない。児童手当や高速道路無料化は一体何をもたらしたのだろうか?電力問題も同様である。政府の目指す方を示すことができず、唯混乱をきたす方向をを向いている。なぜ国有化したいのかの説明もない。電力会社を叩いているが、ストライキが起きたらどう対処する積りなのだろうか?過激派三派の大臣としては世を混乱に落としえることを目指してきたのだから、本人は満足かもしれないが国民には死活問題である。
先の首脳会議で野田総理は想定外の想定が必要などと得意げにフィロソフィーを語っている。しかし、想定外を想定すればそれは想定である。非論理的思考をすると人物と思われては国民の恥である。正しく、あらゆる想定を行ってそれに対処していくと言うのが正しい態度であろう。あらゆる人知を結集してことに対処すべきである。人知が及ばないと言うなら人知が及ぶ人を首相にすべきであろう。
残念ながら、福島県は今回の東日本大震災で大きな被害を受けてしまった。津波や原発事故の被害から復旧するには多額の資金が必要であろう。幸い第二原発は残ったのであるから、折角残ったのであるから、早急に再稼働をしてその資金を稼がなければならにだろう。折角の資源を持ちながらそれを活用しないのか不思議である。被害者を少しでも救うのが急務ではないのだろうか。まさに、現状は羹に懲りて膾を吹くの愚である。