原爆の使用により我が国の降伏を早め多くの戦死者が出るのを防いだなどと云う論理で、広島・長崎での原爆の使用を正当化する人間がいるが、この論理を認めれば、原爆の使用による死者の数を比較して、使用する方が低ければ原爆の使用を容認することになる。この論理を認めれば、社会主義国の核は良い核であると云う馬鹿げた論理にも発展してしまう。核爆弾のような非人道的武器は絶対に使用してはいけないものである。米国はやはり原爆の使用の不当性を認めるべきであろう。そうしなければ核の不使用と云う世界の国民のコンセンサスを作ることはできない。また、核のない世界を目指すと言ってもだれも信用しない。
はじめまして、Zeroと申します。
御言葉ですが、話がひっくり返っています。
「核の不使用と云う世界の国民のコンセンサス」の障害になるから核兵器有効論は「認められない」と主張されていますが一体いかなる方法で?全地球人を洗脳でもするのですか?
「人が一杯死ぬ」何て浪花節では、世界の半分も説得できませんよ。「死ぬのは敵だから」
話は逆です。核兵器は(少なくとも)一定の条件かで有効であるからこそ、「核の不使用」と言うコンセサンスは不可能なのです。
それは兎も角「核の不使用の国民コンセサンス」の前提は、核兵器の保有だとおもうのですが。如何?持っていないモノの不使用は宣言できますまい。
投稿情報: Zero | 2009年8 月14日 (金) 19:58
zeroどの
コメントをありがとうがざいました。拙者と同じ意見のように感ていじますが、当方の考え方を述べさせていただきます。まず基本的には核廃絶などはできなことであす。これはオバマ大統領発言に対する皮肉です。まあできることは核を使わせないことです。「死ぬのは敵」とありますが、核を使用すればまず味方も死にます。当方の論旨は核の使用は政治問題解決に有効だと云う考えを否定することからしか始められないと云うことです。
投稿情報: くらも天狗 | 2009年8 月15日 (土) 13:33