先のブログで、邪馬台国はどこを議論したが、女王国に位置を宮崎とすると会稽東冶の東とすると、少々南過ぎになり、その魏志倭人伝の記述と少々誤差が大過ぎると考える。そこで、第一回の魏使が帯方郡ではなく、楽浪郡から出発し、その緯度の差を8°として、女王国の位置を報告しているならば、宮崎の緯度約31.5°にたいし、8°上は39.5°となり、これは帯方郡の北になり、楽両郡の位置と大体一致することになる。魏志の著者はこれを第二の魏使の出発地帯方郡の位置と混同したために、会稽東冶の東となってしまったのが真相でなかろうか。そう仮定すれば話が合う。すると、やはり女王国は宮崎の地にある。邪馬台国は宮崎の地か奈良盆地にある、あるいは両者の地にあることから当時の我が国の情勢の分析を始めるのが正しい姿を求める道であろう。
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