服装と云うものは単に寒さ暑さを防ぐと云う役割以外に、その人達の社会的位置や役割を表してきた。その中でも、帽子は色々なことのシンボルとしての役割を果たしてきたといえる。良い例が王冠である。これは王としての権力の象徴である。中折れ帽でもこれも社会的ステイタスを示している。帽子を脱ぐと云う言葉があるが、これは、相手を尊敬するとか、あるいは屈服するとか云うことを意味している。教会で帽子をかぶっている人はいないし、食事の時に帽子を脱ぐのも食べ物を与えてくださった、神に対する感謝の念であり、食卓をともにする人たち、あるいは食事を作ってくれた人たちに対する尊敬の念でもある。かってフランスでは、食卓で帽子をかぶるのが許されるのは王だけだったと言われている。戦後、これまでのあらゆる文化・伝統の否定することが、民主的である、あるいは自由平等の表れであると云った風潮が蔓延った。しかし、そう思っているのはその人たちだけであり、社会には伝統的文化風習が残っている。西欧諸国ばかりではなく、わが国でもそうだ。それは良い悪いの問題ではない。帽子にはそれなりの意味がある。NHKなどの番組でも奇妙な帽子をかぶって現れる出演者がいるが、それは視聴者をバカにしているに等しい。見ていて不愉快である。すべからく、視聴料をとっているNHKは出演者の帽子着用は禁止すべきである。
コメント