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今週も、今日は拙者のテニスの練習日じゃが、段々暑くなってきて、体力維持が大変じゃ。引き続きテニス訓を紹介しよう。
(せ)正確な球の運びが第一よ、強打ばかりで勝利得られず。
(そ)速球に面を合わせてグリップしめて、反発力もて足元へ返せ。
(た)球を見てラッケト腰ごと引きながら、一歩踏み出し肘伸ばし打て。
今回の参議議員の選挙は自民の惨敗に終わったようじゃ。社会現象の原因は複雑多岐であるから、一つの理由だけで論じるわきにはゆかない。しかし、拙者の見るところ、最大の失敗は、阿部政権の人事にあった考える。組閣名簿を見た、拙者は腰を抜かさんばかりに驚いた。せっかく、郵政民営化と云う旗印の下で、古い自民党と縁を切ることができたのに、阿部氏は古い自民党とまた手を組んだという印象が強い。それに、素人の拙者らでも感じているダーティイメージの人間が続々と入っている。これでは人心を得られない。その結果は皆のご存じの通りじゃ。それに、マスコミを喜ばしてしまった。もちろん、将軍様も大喜びであろう。しかし、今回の結果は、紆余曲折を経るが、わが国の政治に良い結果をもたらすであろう。これで、青木氏などが失脚して、自民の参議院の改革がしやすくなること。民主の、跳ね上がりが勝利によって、愚かなことをしでかし、その正体を暴露し、政界の再編成への道を開くことになる。後は、マスコミに責任を取らせることじゃ。
今日は日曜日じゃが、家でごろごろばかりしていられない。参議院の選挙に行かなければならない。しかし、これと云う候補者がいないのは困ったもんだ。選挙公報に改革しますだの、福祉を充実しますなど奇麗ごとばかりが書いてあるが、そんなことは一代議士の身でできるものではない。大体、候補者がどのような素質の人間なのか大事だと思うが。それに、わが国の選挙にはおかしなことが多すぎる。第一に、一票の格差が何時までたっても解消しない。選挙運動にも、選挙の不正の防止ばかりに気が取られ、奇妙な規制が多すぎる。より多くの、情報を選挙民に与えて選挙させるという意図が感じられない。投票所に行けば、外国では当り前のカーテンがなく、投票への書き込みが見られていしまう。拙者は参議院を廃止することを公約に掲げる候補者がいれば、その候補者に投票するのに!
戦前は、拙者の子供心にも、新聞記者は、社会の総会屋みたいなもので、ゆすりたかりを業とする人たち、弁護士は法の盲点を突いて汚い金もうけをする人たちと社会での地位は低いと考えていた。戦後は、米国映画での正義の新聞記者物語や、TVの弁護士ベン・ケーシなどのお蔭で、イメージ的には社会的地位は高まったようじゃ。しかし、田中角栄邸を訪れ、5万円入りの封筒とオールド・パーもらって帰る話や、記者会見での態度など、またオーム事件での弁護や法よりイデオロギーを優先するような弁護を見るとあまり変わってもいないようじゃ。法といえば、裁判官はもっとひどい。法を裁くのではなく、これまた、自分のイデオロギーを述べる場と考えているらしい。主文の判断もひどいが、付帯意見で、政治行政に介入している。これは、明らかに三権分立に反しており、職を解任されてしかるべきものじゃ。社会に正義をもたらすべき人たちがこれでは困る。しかし、今や、新聞・TVばかりでなくインターネットという一般の人たちが意見を世間に対し発する場を持ったのだから、われわれは、正しくこれを利用すべきであろう。
いろいろな分野で、自由化が叫ばれている時、それを推進する役を担っている新聞が一番自由化において遅れているようじゃ。先日公取が新聞の再販制度の廃止を提案したが、全新聞がそれでは公正な質の高い新聞を提供できないと大反対して、立ち消えになったのは、大変残念なことだ。他分野に対しては自由化、特に談合などによる自由競争の妨害を散々叩いているのにだ。他分野は質が低下してよいと思っているのだろうか?それに、販売法が汚い。再販制度に守られているのに、やれ石鹸だ、特待入場券だと配って押し込みに近い販売をしている。新聞社自身も販売店に対して押し込みを行っている。こういった新聞社の体質を変えないことには、中立そうに見せて、選挙に介入し、労働問題を後押しし、わが国の教育を捻じ曲げ、さらには売国奴的言動を止めることはできない。その根本は新聞の販売方法にある。自由に新聞界に新規参入し、配達販売が受けられるように、販売組織を自由化し、開放すべきであろう。
橋も建築物も同じようなものだと考えている人は多いだろう。しかし、両者にはいくつかの違いがある。まず、形から言えば橋は横長いし、建築物は縦長い。この形の特徴の違いが、その上に載せている人や物の重さの伝わり方に、これまた違いが出る。横長い橋は途中に支えるものがないので、両端までその重さを伝えなくてはならないが、建物では柱を通して直接下の大地に重さを伝えることができる。そこで、、強さにも違いが出てくる。お箸を引っ張ても、なかなか切れないが、曲げて折ることは簡単だ。同じお箸でも力に対する強さが違う。建築物でも地震に対しては横から力が加わるので、建築物も弱くなる。それで、地震に対しては特別の考慮をしなければならない。もう一つの違いは、建築物は一般に私用であるから、地面に置かれた置物でもよい。それに対して、橋は公共物である。それに対応した資質が求められている。
それでも、拙者はTVはNHK以外はあまり見ないので、他の民放のことはよく知らないが、一般に、我が国のジャーナリズムが知を尊重しないのは目に余る。みんなが期待しているNHKも知が嫌いなようじゃ。今回、高校生の物理オリンピックで金賞受賞者が出たというのに、速報で報道しない。数日たっての今日はなって、初めて大臣に報告したことを報道している。スポーツ選手や芸能人となると、うんざりするほどそればかり放映するというのにだ。ところが、学問で大きな貢献をなした人などは、ニュースのでは取り扱わない。毎日のように、大きな貢献をしている業績があるのた。どう見ても、NHKは知に優れた人が嫌いらしい。自分たちが知に劣ることの裏返しではないかと疑いたくなる。
する回数を増やせば、スポーツでも何でも上達するように思われている。ところが、テニスやゴルフは場数を増やしても上達するとは限らないから不思議だ。かえって悪いホームが身に付き下手になる場合がある。イチロウだって常に良いホームで打てる訳はないないようじゃ。先週に引き続き、テニス45訓を紹介しよう。
(さ)サービスは、じっくり構えて焦らずに、リズムに合わせ顎上げて打て。
(し)知るほどに、瞬発力の大事さよ、目、脚、腕の鍛え忘るな。
(す)スマッシュはラケット担ぎ球の下、弓手(左)で計って横向きに打て。
すれ違く車を確認できると云うことで、歩道のない道では、車は左側人は右側を歩くように定められた。ところが、わが国の左側通行の原則までが、右側通行になったような錯覚が広がり、通行区分がめちゃくちゃになり、あちらこちらで、実に歩きにくい。原則は原則であり、社会の法則を変えるような事はしてもらいたくない。このようなことを法の番人である公安委員会にしてもらいたくはない。同時に赤信号にするということが、交差点から一時車を一掃するという名目で、行われたが、結果は赤信号でも車が進入してくるという法律蔑視の風潮を助長しただけじゃ。二輪車を、信号で停止している車の前に割り込ませる違反行為も公安が推奨している。公安が先頭立って、法律違反を進めることはすべきでない。
昨日の豪州戦に何はともあれ勝ったことは同慶の至りじゃ。ジーコ監督の下でしぼんでしまった我が国のサッカー熱が少しは甦ったようだ。豪州がアジアに入ってきたことも良いことだ。すべてのことに通じるが、ライバルがいると云うことは人々の関心を高めるには多い役立つものだ。我が国のサッカーの弱点であった点取り屋不在も高原のおかげで少しは緩和されたようじゃ。拙者の見るところ、サッカーで点を取るには、ロングシュートを除けは、今回のようにゴール前にスペースを作ることか、ボールを放り込んで、ごちゃごちゃの状態を作るかの二つだ。後者はかつて豪州が得意とした戦法だが、今回日本チームもこれを少し真似たらよかったと感じた。