「日本書紀のお話46」にて、仁徳31年は427年であって、この年は、履中天皇の立太子の年代であることをお話しました。
そこで、この履中天皇の立太子の年代を、立太子ではなく、即位として捉えてみましょう。
履中天皇の即位元年は427年であることになります。そこで、履中天皇の末年となる履中6年は、実年代では、何年に相当してくるのかといいますと、これは、西暦432年となります。
西暦432年!!
ここで、履中天皇の古事記崩年干支を思い起こしてみましょう。履中天皇の崩年干支の壬申年は、西暦432年です。
古事記崩年干支が、日本書紀紀年法の謎を解く鍵である理由は、古事記崩年干支の年代と日本書紀の編年との間に、驚くべき法則が設定されていることにあるのでした。
続きは明日ね♡