この頃はすぐに国費を投入してなどと言うが、国費の出所は打ち出の小槌ではなく、国民の税金である。児童手当を支給などと言っているが、これもこれも税金である。誰かが何時かこの税金を払わなければならない。それは、今の一般国民なのか、手当を貰った未来の納税者なのか、この税の出所をはっきりして、国民が認めて始めて施行すべきものであろう。C型肝炎など、その他いろいろの国の責任を問う裁判で、裁判官は気楽に国費補償と言ってもこれも税金で補償するものである。患者が元気に衆議院議員医院にな」っているのも不思議である。八つ場ダムの中止費用を払うなどと言っているが、そのために国民がどれだけの税金を払うことをになるか,国民の承諾が必要であろう。これから、国費でとは云わずに税金でと言うようにすれば少しはその使い方に関しての関心が高まると思われる。国費すなわち打ち出の小槌という感覚で,予算を組まないで欲しいものである。
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