ノーベル賞と言うと,少なくとも我が国では世界最高の賞のように思われている。確かに、物理・化学学賞や、医学生理学賞の受賞者は優れた業績を挙げた人たちが多い。しかし、文学賞とか平和賞となると客観的評価が難しい分野である。平和と云うものはきわめて政治的な問題である。こういった事柄を小国の数人の人が決定して良い問題であるとは考えられない。平和には多くの側面がある。独裁者の下では平和である可能性もある。どういった状態を賞賛すべき平和であるかの定義なくして賞など出せるものではない。例えば、米国では我が国に原爆を落としたことで平和が訪れととしている。そうすると、核は平和をもたらすものであることになる。核が無ければ通常戦争が続発することにもなりかねない。少なくとも、賞を出すのならば、文学賞と平和賞は評価が定まった故人に与えるのが妥当であろう。
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投稿情報: icon download | 2012年11 月 1日 (木) 01:14
日本語を読めるようなので、日本語で返答を書かせて頂くことにする。文学賞は多くの人の評価を取り入れて賞を決定するのは難しい。推薦者の思惑に左右されやすく、また、賞を貰えば、その出版社に多くの利益をもたらすので、不正な働きかけが行なわれやすい。今年のように、国ぐるみの働きかけがあったたような報道まで出てくる。平和賞は本当に平和に貢献したかどうかは少なくとも五十年は経たなければ分からない。金大中氏のように北に金を出して会談をして貰った例もある。経済のように人間というものの係わりの強い分野で普遍的な理論が出るものであろうか。ばくちの理論であるとか、リーマンショックを起こすような理論がまかり通ったりする。
投稿情報: くらも天狗 | 2012年11 月 1日 (木) 21:47