さて、魏志倭人伝では女王国は会稽東冶の東にあると推測している。そこで、まず帯方郡とか会稽東冶の緯度差を考えてみよう。帯方郡がどこにあったかという定説はないようだが、一応京城の北と考え、37度とすると、会稽東冶のとの差は8度と云うことになる。この8度を距離に直すと、1度は111.1kmである。すると帯方郡と会稽東冶との南北差は888.8kmである。当時の1里は75mであるから、1km=13.33里となる。888.8kmを里で表せば、888.8kmx13.33里/km=1万8千5百里となる。この距離は魏志倭人伝で述べている帯方郡から女王国までの距離一万二千余とほぼ一致する。すなわち、魏使は帯方郡と女王国との緯度差は約8度と認識していたことになる。魏使の計測が正しければ、女王国はどうしても宮崎県になくてはならないことになる。これからは、邪馬台国は宮崎県にあったと云う事から歴史を考える必要があろう。
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