一人の人が、市に虎がいたと言ってもだれも信じない。二人が言っても、まあ信じない。ところが三人が市に虎がいたと言えばみんな信じてしまうという中国の古い言葉がある。沖縄集団自決の判決も、この言葉通りのである。一沖縄新聞が、軍の命令で集団自決が行われたと書き、それを大江らがあったあったと言えば、本当にあったと信じてもよいと一審の裁判は言っている。裁判は事実の判断から審査を行われなければならないのにじゃ。まあこの「三人市虎をつくる」のような例は独裁国家や詐欺師がよく使う手ではあるが。話はずれるが、中国には道徳や処世術等に関して実に多くの言葉がある。それで、中国は道徳的な国のように思われているが、それは逆であり、道徳がないからそれに関する言葉が多くなるのである。泥棒のない国では、泥棒と云う言葉はない。
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