紀年論争では、日本書紀の編年の修正案として、さまざまな説が、唱えられました。
それでは、日本書紀の編年を修正するために、明治時代の博士たちは、いったい、どのような資料を用いたのでしょうか。
もちろん、古事記崩年干支は、たいへん重要な指標となりましたが、そのほかに、注目されたのは、日本書紀の神功紀に引用された魏志倭人伝の記事や、応神紀、雄略紀に記載される百済王の即位・薨年などについての記事です。
魏志倭人伝からの引用文には、中国三国時代の魏朝の元号が見えますので、実年代(西暦)を求めることができます。また、神功紀、応神紀、雄略紀に見える百済王の即位と薨年などは、『東国通鑑』や『三国史記』と比べてみることによって、実年代を求めることができたのです。
続きは明日ね♡
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