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魏志倭人伝では、卑弥呼の住むところは郡より南一万二千魏里であり、会稽東冶の東、すなわち北緯三十度付近を指しているのに、これとはかけ離れた,奈良や北九州だと 未だに論じているのは不思議である。女王の住むところは魏では日向であると認識しているのは間違いない。
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