魏志倭人伝に書かれている国々の位置を素直に読み取ってみよう。最初に一寸した仮定をすると、まず東南にと云うのは到着地が出発地より東で南にあることを言っているだけである。伊都国はその役目から言ってその後の太宰府に近い位置にあると想像される。旅程は魏使二人、梯儁と張政のものをあわせたものである。まず、張政は今の前原辺りに上陸し国道202号を東進し南に入ると距離は丁度五百里となり話に合う。張政はここで魏の軍旗を渡して役目が終わりである。梯儁の方は壱岐から千里の距離と言うと博多湾から遠賀川河口辺りまでの何処かの奴国の西海岸に到達し、彼の目的は女王に会うことであるから、水行して前に述べたように北極星の高さから求められる宮崎市当たりに行くことになる。その間投馬国に寄ることになるが、九州東岸で人口の多さから言うと大分か延岡当たりとなる。なお不弥国はどちらの使者の報告かは分からないがいずれにしても小さな国である。こう見ると魏志倭人伝の記述に何の矛盾もない。
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