さて、測量の立場から女王国の位置を推測し、その位置は宮崎県にある確率が高いとした。本になっているのは観測される北極星の高さから位置を推測したと考えたものである。南北間の距離は北極星で測れるが、東西となると歩数などでしか測れない。そのために、旅行日数などで表さざるを得ない場合があろう。そこで、距離が示されていない国までの距離が水行などで表されるとしたら、それは東西の距離と考えるのが自然である。さて,魏使の梯儁は方角や距離の細かい点はともかく南へと旅して女王国に着いたと魏志倭人伝では読み取れる。さて、次の使者張政は邪馬台国の戦いの最前線伊都国に、魏の軍旗である黄幢を伊都国に持ってきたが、台与とは会ってはいない。魏志倭人伝では突如方角は南であるが、水行十日と二十日の記述が出てくる。文脈に捉われずに、これが、東西距離と考えると、多分に、合わせて水行三十日で邪馬台国は奈良盆地にあることになる。もちろん卑弥呼が宮崎にいた時も奈良には国があったはずである。しかし、それらの関係は伝では述べられていない。祭司、神託のみが宮崎で行われていてもこれ又不思議ではない。和気清麻呂は宇佐まで神託を受けに来ている。やはり日本国のルーツは神話通り高千穂の地と考えることはおかしな話ではない。
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