人は法の前で、人として、あるいは神の前で平等である。孔子も人は等しからざるを憂うとおっしゃている。しかし、才能において、顔や形において、親の富において、職業において、属している国などにおいて平等ではない。すべてが平等ではないのに、平等でなければならないと小学校で教えられ育つと、現実の世界に直面した時に、平等でなければならないという原理から外れているのを感じ、その不平等感に苛まれることになる。その結果、不平等社会に敵意を持ち、社会そのものに敵意を抱き、人を無差別に攻撃するようになる。日教組が行っている共産主義に基づいた平等教育などは直ちに止めさせ、真の平等と、不平等を乗り越えることや不平等感を克服することを教えるべきである。
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