大抵の宗教には、唱えなければならない言葉がある。唱えれば、その宗教に対する心が一つになり、信心も強くなると思われる。しかし、言葉そのもには現実的なことには何の効果もないものでではあるが。しかし、言葉にはそのような力があると信じている。逆に、その宗教に反する言葉にはその宗教を破壊させる力があることになる。唱える言葉が大切であるよりも、その裏にあるものが大きな意味を持っているのだろう。イデオロギーも宗教の一種であるから同じことが言える。言葉狩りをする心の内はそのような恐怖心によるものと考えられる。反戦、平和と言えばそれらが来るとでも思っているらしい。平等と言えばそれにより何が来るかも考えていないとしか考えられない。大事なことは、言葉狩りよりも、言葉により表されている現実について議論をすることである。
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