近頃政治決着とい言葉がジャーナリズムを賑している。C型肝炎薬害問題もそうじゃ。国が使用を禁止した後に生じた薬害はどう考えても国の責任ではない。裁判所の判決は常識的であり妥当である。それなのになぜか、原告団はC型肝炎患者全員に賠償しろと言っている。薬害の責任を認めさせれば、あとは被告は負け犬である。弱者の恐喝がまかり通る。第一責任者はミドリ十字である。ミドリ十字から賠償金を取れないので、金のある国かろ取ろうというようにしか見えない。薬には副作用はつきものである。その認可にあまりにも大きな責任を持たせると、効果のある新薬の発売もできなくなり、その薬の投与を受けられない患者には不利益になる。これも、国の責任となってしまう。さらに、本当は、国が出すのではなく、、病気を治治されるものと信じて治療を受けた患者の不運に同情して、国民が金を出すのである。国のこういった問題に対しての本来の責任問題を論じることなく、全員救済などの政治決着というもので、票を稼ごうというのはあまりにも思慮がなさすぎる。そうなると、既にそうなってきているが、国の責任を問うこの手の賠償問題が続出してしまう。きちんとして議論をし、その本質を明らかにし、二者選択を取らざるを得ない場合は、どちらかに、決定すののが政治である。その中間の訳なわからないことをするのが政治ではない。そうでなければ、理性にあふれた国民は気持ちよくこの世を過ごすことはできない。
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