近頃、居眠り運転やウッカリミスによる事故が多すぎるような気がする。これは、明らかに人心が倦み、緊張感が無くなってきている証拠であろう。こう云うことが起きるのは,昔より偏に為政者が悪いからと云うことになっている。速やかに、管は退陣、さらには民主政権が交代しなければ、人心は一新されない。幾ら、首相が美辞麗句を並べても天も許さない。
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節電とやらで、彼方此方の下りエスカレータが止まっている。おかげで、老人は膝が痛くなって困っている。しかし、登りと下りのエスカレータに同じ人数の人が乗っていれば重量が釣り合い殆ど電気を使わずに運転が出来るはずである。登りだけでは乗っている人の全重量を持ち上げなければならないので多くの電力が必要になる。下りエスカレータを回しているモーターは発電機になっているはずである。若しそうなっていないならば、設計者の怠慢と云うことになる。下りエスカレータは運転すべきである。
ヨーロッパの国を旅行して、一番落ち着いていて、秩序のある国はドイツであるとの印象を持つ。合理的にものを考える国でもあるように感じる。所が、今回原発を廃止すると云うドイツ政府の決定はどうしたことであろうか。全く、ヒステリックな反核思想に囚われ、国の経済の発展を考えると合理的な判断とは思われない。曾て、ヒットラーが台頭した時の映像を見ると大多数の民衆がナチを支持して熱狂しているように見える。どうもあの国は極端に走る傾向があるようであり、ある意味で危険な国でもある。
自民の谷垣総裁は、管が不信任案を通せば解散総選挙だというのは脅しだなどと文句を言っているが、総選挙に持ち込めないようでは野党としての価値がない。被災地で選挙が出来ないなどと言っているが、そこは欠員にしておくなどの手は幾らでもある。定員も早急に改正すべきである。管が総辞職しても民主には首相になる人材はいない。管では国を治められない。国のために思うならば、自民は影の内閣を早急に組織をして、その顔ぶれで選挙に望むべきである。只首相が谷垣では勝ち目があるかどうかは分からない。覚悟を決めて首相不信任案を出して貰いたいものである。
今日この頃どの町を歩いても、建物の中に入っても、実に暗い。これでは、気分も暗くなる。産業の血とも言える電力を政府が作らないように指導しているのであるから、日本中が暗くなる。頑張れ日本と言っているが、我慢しろ日本と言っているように聞こえる。夏は扇風機で過ごせなどと政府は言っているが暑い夏が来れば国民の我慢の限度を超えて暴動が起きてもおかしくない。国民の意欲をそぐことがないようにするのが政治である。どうして今の政府は国民をがっかりさせることしかできないのか不思議である。
現在の憲法は戦勝国が、敗戦国が二度と立ち上がれないようにと作った憲法である。当然、世界情勢も変わり、国内情勢も変わり、これらに合わせ改憲が必要であることは明らかである。文章を少々いじった済ますようなことではない。問題は、新しい憲法を作る傑出した人物が見つかるかどうかということであろう。それを考えると悲観的にならざるを得ない。
もし、関係者の中に大学新入生がおられたら、サークル活動には気を付けてください。怪しげの新興宗教とか過激派崩れなど魑魅魍魎が新入生の勧誘に暗躍していると思わなければなりません。奇妙な組織に取られないようにしてください。
政府は福島原発の周りに立ち入り禁止とした。放射線障害を考慮してのことならば、老人は放射線の影響は低いのであるから、老人には自由に立ち入れる措置をとればよい。老人は家の片づけをし、農地を耕し収穫を自分で食べ、家畜の世話もできる。例え、残留放射能が高くても収穫された野菜類は避難している老人に食べてもらえばよい。そうすれば、近隣の市町村が死の街と化すことを防ぐことができ、多くの問題を解決できる。政府は住民の立場で考えて、政治を行うべきであろう。老人であると申し出た人は全員老人と認定すればよい。
国難ともいえる今回の大震災で、国民は身の回りを改めて見直す機会を得たかもしれない。今まで、これは可笑しなことと心の中で思っていたことから抜け出すことができれば不幸中の幸いである。その例が、確かにパチンコと余りにも多い自動販売機である。パチンコは明らかに博打であるから、禁止すべきであろう。まあ、経過措置として、12時から4時と8時から11時の間に営業時間を制限するから始めるのも手である。自動販売機など大抵三系統の販売機が並んでおいてある。整理すべきであろう。又、危機のおかげで民主党の正当としてないことも分かり、これも整理される運命になるであろう。
NHK解説委員などは、「福島原発事故で、想定外と云う言い訳は許さない」などと威張ったことを言っているが、想定外のことが起きなければ事故にはならなかったはずである。事故第一原因は設計で考慮した津波の高さが想定外であったために起きたものである。今後の重要な課題は、その想定した値の問題であり、どう想定を改善して行けるかどうかにある。後は、事故の後の処置が適切であったかの問題を徹底的に解明することであろう。